黒武者因幡の「歴史に鑑みて」

新潟在住の歴史ライター黒武者因幡が、時事問題を歴史に鑑みて感想を述べるブログです。

広島への原爆投下

1945年8月6日午前8時15分

これは日本人にとって忘れてはならない日時・時刻です。

アメリカの爆撃機エノラ・ゲイによって広島に史上初の原子爆弾が投下されました。

爆心地で発生した気圧は数十万気圧に達し、秒速440メートルの爆風を発生させました。音速が秒速350メートルです。この爆風によって、多くの建物が崩壊しました。

 

爆心地には火球が発生、その熱量は5.3兆カロリーと推計されています。爆心地付近の温度は3000℃~6000℃に達したとされます。この熱は、爆心地の人を形もなく溶かし、木造家屋は自然発火するほどでした。

 

また、核分裂反応でアルファ線ベータ線ガンマ線中性子線が発生、、地表には透過力の強いガンマ線中性子線が到達しました。爆心地の地表に到達した放射線は、1平方センチあたり高速中性子が1兆2千億個、熱中性子が9兆個と推定されています。

 

犠牲者は9万人から14万人と推計されています。

 

この原爆は、もともとナチス・ドイツが開発計画を進めました。この計画が実現されたら大変なことになると危機感を感じたユダヤ人科学者・物理学者らが当時のアメリカ大統領ルーズベルトに働きかけたのがアメリカが原爆製造に手を付けるきっかけでした。

この中にはアインシュタインも加わっています。

 

ドイツは戦局を一気に有利にもっていく切り札として原爆を考えていました。ドイツには当時Ⅴ2号というミサイルがありました。この先端に核爆弾を搭載したら、いまでいう核弾頭ミサイルをヨーロッパ各国に使用できるのです。

 

しかし、多大な費用と時間がかかるこの計画にヒトラーは関心持たなかったのです。また、原爆開発に関わった物理学者ハイゼンベルグは、意図的にサボタージュして開発を遅らせました。

 

一方、アメリカはドイツの科学力を恐れ、計画を進めます。そして、ドイツ降伏後に原爆が完成したのです。広島に原爆が投下される20日前のことでした。

 

この段階でドイツに対抗するために原爆を作るという開発者たちにとっての原爆を投下する理由は無くなっています。しかし、政治家にとって投下する理由はあったのです。

それはソ連の存在でした。密約によって、ソ連がドイツ降伏の3か月後に2本との不可侵条約を破って参戦するということが決まっていました。そして、日本はこの事実を知らず、ソ連を通じて終戦の術を模索していました。日本は手の内を全て読まれていたのです。アメリカは終戦後の最大のライバルはソ連になると認識していました。また、日本がどうしても連合国に守ってほしい条件を認めればすぐにも終戦するのはわかっていました。ただ、どうしても対ソ連で優位に立ちたいという想いでトルーマンは原爆を使用したのです。政治的な思惑の引き換えに広島・長崎に20万人以上の犠牲を強いたのです。

 

政治に翻弄されると、多大な犠牲者が出ます。原爆もその一例です。こうした悲劇を避けには、一人一人が真剣に国の行く末を、そして今の平和が築かれるために犠牲になった方々のことを考えることが必要です。国家が誤った方向に行かないように8月はちょっと立ち止まって考えませんか。